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TOPへ 旧志免鉱業所竪坑櫓 旧志免鉱業所竪坑櫓1 旧志免鉱業所竪坑櫓ライトアップ

旧志免鉱業所竪坑櫓

福岡県糟屋郡志免町志免451-1

撮影日:2009年12月29日

 前々から気になっていたこの建物、ネットで調べてみると「旧志免鉱業所竪坑櫓」だと分かり、いつか訪れようと買い物帰りに寄って見ました。少し高台に立っているので、かなり遠くからでも見え 遠くには飛行機が飛んでいる姿も見えるので、建物と入れて撮ると雰囲気のある写真になるのではと思いました。 確か、以前はたくさん緑の葉が巻きつき、荒れ放題の雑草が周囲を埋め尽くして、古い廃屋のような建物が建っている姿でしたが、すべて綺麗に取り払われていました。 国の重要文化財に指定されると、こうも力のいれようが変わるのですね。
周辺は、ほぼ住宅街で、建物周囲は、運動公園として野球場・志免町の総合福祉施設シーメイト・遊戯(公園)などがあり、子供連れの家族で楽しまれていました。 また、少し下った場所には「志免鉄道公園」があったようです。駐車場から右回りに見て回り、この 上の写真の左側の柵に建物の説明案内版がありました。
何でも、この建物は平成21年12月8日に
☆祝☆「国指定重要文化財」に指定されたようです。
また、12月31日18時から、
カウントダウンイベントがあり、建物にライトアップされるそうなので、その時にも訪れてみようと思います。
実施日:2009年12月31日(木)
開催時間:18:00〜翌2:00
2010年1月1日〜2日は、24時までライトアップ

参考に・・・「志免町歴史資料館」に竪坑櫓の模型が展示してあります。かなり細かな部分まで作られてました。
私のブログで・・・
「志免町歴史資料館」

 この場所で、大分むぎ焼酎 二階堂 2002年「父」のCMで使われましたね。 私の記憶に、いつも後姿で現れる人がいる。
あの頃、あなたが口にしなかった言葉に、
いつか私は、辿り着くのだろうか・・・?
ずっと、麦100%。
大分むぎ焼酎、二階堂。

私の知らない父と
父の知らない私が
坂の途中ですれ違う。



町内から見た竪坑櫓です。小高い場所に建っているので、離れた場所から望むことができます。



斜坑

 斜坑の入り口は、鉄格子で入り口が封鎖されいます。もっと近寄って中を撮って見たかったのですが、柵で囲まれているので駄目でした。

 石炭を採掘するための施設ですが、竪坑がエレベータ方式ならば斜坑はエスカレータ方式といえるでしょう。竪坑櫓北側に、鉱滓煉瓦巻の第八坑連卸坑口と、第八坑本卸坑口の閉塞部分、第五坑西側坑口が現存しています。第八坑の坑道は昭和13年に施設が完成し、地下で竪坑と繋がっています。


志免竪坑櫓

 志免町では、志免竪坑櫓を保存することにいたしました。
この竪坑櫓は、昭和十八年に旧海軍省が石炭採掘のため、地下430mからトロッコを巻き上げるのに築造されたものです。
 戦前は戦艦の燃料、戦後は国土復興のため蒸気機関車の燃料として昭和三十八年まで石炭が採掘されました。また、産業がなかった志免町においては、旧志免鉱業所が国有直轄炭鉱でありましたので、志免町の発展に大きな恩恵を受けました。この竪坑櫓を近代産業遺産として後世にこの歴史を継承していくために
【見守り保存】いたします。


柵が邪魔で、2枚になってしまいました。



当時の志免鉱業所竪坑櫓周辺の様子です。


当時の写真と比べても、竪坑櫓が壊れずにこれほど綺麗に残っているのは凄いですね。


 竪坑櫓の周囲は、柵で囲まれて立ち入り禁止になっています。柵がどうしても入ってしまうので、仕方なくコンデジで手を伸ばし柵の上から、柵が写らないように何とかして撮りました。
もっと、近寄って真下、内部も撮って見たいですね。

旧志免鉱業所竪坑櫓

所在地   福岡県糟屋郡志免町大字志免495番3
構造    鉄筋コンクリート造
大きさ   高さ47.65m、長辺15m、短辺12.25m
文化財登録 2007(平成19)年7月31日

製作者 第四海軍燃料廠(設計者猪俣昇)※「廠」には「工場」の意味があります
竣工日 1943(昭和18)年5月10日
所有者 志免町

     
     
     
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