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TOPへ 水城跡 水城跡1(木樋跡) 水城跡2 展望台 コスモス畑

水城跡

福岡県太宰府市水城、国分

撮影日:2006年07月09日
:2009年10月20日

 多目的広場に車を止めて展望台へ向かう方が多いようです。登り口に、水城跡東門周辺案内図がありました。これによると、展望台から水城跡の土壌を上から眺めることができるようですね。

多目的広場から見た展望台です。


 なだらかな坂道を上がっていくと、この先、左側に折れると短い階段があります。多目的広場から、歩いて数分で着きました。 階段の手前には、この時期、柿の木から落ちた実ってない柿が散乱していました。踏まないように避けながら注意しながら進みました。既に、腐っているので臭い匂いと踏むとかなり臭いです。

こんな土手の場所に木が生えてました。根がシッカリとしているのでしょうね。



 展望台にある水城跡の説明の看板はひび割れボロボロの状況でしたが、何とか見ることができます。雨風にさらされているのでしょうがないですね。
水城跡

 水城は664年に築造された土塁で、663年白村江(はくすきのえ) の戦いで敗北後、大野城や基肄(きい)城などと共に築造された防衛施設です。土塁(どるい)はここ国分側の丘陵と住宅街になっている正面の吉松丘陵との間1.2kmを塞ぐように造られた人工の盛土です。土塁の下には樹木の枝葉が敷かれています。これは敷粗朶(しきそだ)工法といい、基礎の滑りを抑える工法で、調査で確認された枝葉を見ると落葉樹に葉が付いていること、果実が未成熟であること、葉の大きさなどから初夏(5月初旬〜7月)に敷き込んだと推測されます。
 その敷粗朶の上に盛られた土塁は、質の異なる土を交互につき固める版築工法によって造られています。土塁は大きく2段に造られ、幅77mの平坦な土塁(下成土塁)の上に、幅23m、高さ5mの台形状の土塁(上成土塁)が造られています。博多側にテラスが設けられていることは、防衛上不必要と考えられ、急角度の上成土塁の地滑り防止の為に造られた押え盛土と考えられています。
 現在水城跡周辺には住宅が迫ってきていますが、土塁を挟んで博多側(向かって右側)には幅60mの外濠があったとされ、大宰府側(向かって左)には内濠があったと考えられています。
 眼下には県道と市道が通っていますが、手前の市道付近を奈良時代に官道が通り、大きな礎石がある付近に東門があったと考えられています。
 正面に水城跡を眺めると、真正面に遠く背振山を望み、水城の中央付近を御笠川が流れ、鉄道・高速道路・国道が横切っていることがわかります。九州自動車道については、この水城跡の隙間(御笠川付近)を通過する計画が出された際、景観の問題が議論され、トンネル工法や迂回させる方法などの代替案が検討されました。しかし、御笠川や鉄道の地下を通過することでの安全上の問題、さらに多額な費用がかかるなど様々な理由から、ほぼ当初の計画どおりに決まりました。ただし、景観に配慮し、道路の高架の高さを水城跡の頂部より低くすることになったのです。よって、現在見るような低い高架が造られ、地面すれすれに高速道路が通っているのです。


 展望台には、石碑が祀られていましたが、何の碑か分かりませんでした。


 展望台から見た水城跡ですが、ちょっと高さが目の位置で細長く延びている様子が分かりませんでした。時間帯が逆光だったので写りが悪いです。

休日となるとたくさんの人で綺麗な芝生の上で寝転んだり、犬と遊んだりする家族が多い場所です。


大野城市方面です。


春日市、福岡市方面と水城跡三差路付近と第2水城跡駐車場?です。


 展望台の裏手には道がありました。この先、何処かへ行けるのかと途中まで行って見ましたが、日が暮れそうなので引き返してきました。次回、行ってみようと思います。

     
     
     
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